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物欲主義者と快楽主義者【書評】「今夜、全てのバーで/中島らも」

 

僕は昔からあまり物欲がない。ヴィトンの財布や高い腕時計など微塵とも欲しいと思ったことがない。

車にも全然興味がもてなかった。最近では便利なモノとしていい加減欲しいとは思うが、富の象徴というような意味では全く興味は無い。

高級車などいらない。壊れずに走ってくれれば良い。

 

その代わり、精神的なものに対する欲求が半端ではない。映画や漫画、小説など心に高揚感を持たせてくれるものが大好きだ。ジャンキーといっても良い。

僕のこの快楽主義者的スタンスは、生い立ちが大きく関係していると思う。

 

僕は物心つくまえからアレルギーに対する反応が凄く、特に喘息を患っていた。

当時は子供なのでそれが「喘息」という病気だと認知してはいないが、あの滅法苦しい状態が定期的にやってきてそれは苦しんだ。

つまり健康の水準が人より一段低く設定されており、発作の無い普通の状態が幸福なのだ。

この世で唯一欲しいものと言えば、喘息の発作止めだけであった。

 

体が成長するにしたがって喘息もほとんど起きなくなってきた僕は上記のように心に高揚感を与えてくれるものの虜になった。

そして成人以降はアルコールに溺れた。とはいっても昼間からずっと酔っ払っているわけではなく、日が暮れるとワインを2本と缶チューハイを買って、毎晩痛飲していた。

ある時期から夜勤の仕事をするようになると、今度は夜勤帰りの朝に飲むようになり、それにより飲酒のルールがとてもアバウトになった。

無職になって酷いときは、飲んで寝て起きて迎え酒という状態が3日ぐらい続いた日もあった。

山形連続飲酒というやつである。

もうさすがに今はそういう生活はしていないが、アルコールは依存すると恐ろしいものだと分かった。

 

芸術的なものを好む人は酒はもちろん薬物や大麻などに手を出す人は多い。

それを利用して着想を得たりすることもあるのだろうが、そっち方面の知的探究心がとても強いのだろう。

 

この本の作者である中島らもさんはまさにその典型的な人物で、酒や薬や睡眠薬などあらゆる中枢神経に作用するものを愛好し、多くの名著を残した一方で、健康を蝕んでいった。

 

僕はらもさんほど破天荒になれなかった小心者だが、核として凄く近いものをもっているため、読んでいてドキリとする箇所がいくつもあった。

 

・夜眠るためのナイトキャップとして利用しているとアル中になりやすい

睡眠を質草として、アルコールに奪われ、寝るために飲まざるを得なくなり、さらに酒量は増える。

 

・「教養」とは一人で時間を潰す技術だ。自分は教養がなく、ぽっかりとあいた時間があると飲酒以外思いつかない。

最近この言葉が意味することがなんとなく分かるような気がした。

現在学校が夏休みで、夕方のアルバイトに行くだけという単調な生活を送っており、アルバイトまでの漫然とした時間を潰す方法を思いつかず、睡眠薬を飲んで寝逃げすることがしばしばある。

きっとこういうことなんだろうなあ、と思いながらも惰眠を貪ることしかできないのだ。

 

この作品はらもさんの私小説的側面が強いため、アルコールに溺れる人の仕組みや考え方などが鋭い筆致で描かれつつ、らもさん特有のユーモアを交えたエンターテイメント性もあり、とても素晴らしい作品です。