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僕がヤンキーに殴られた日

それは15歳の時だった。

今ではほとんど見かけなくなったが、昔は僕の住んでいる田舎は中学生のヤンキーが沢山いた。

今思うと僕の世代のヤンキーというのは部活動の一種だったのだと思う。

窓ガラスを割ったり校内暴力を起こすなど、大人社会にまでは牙を向かず、同年代の相手限定でチンケな悪さをする。

中学生の身の振り方としてヤンキーというものが一つのカテゴリとして存在していた。今はもうない。それだけの違いのような気がする。当時は間口が広くて入りやすかったのだ。

 

西中はマジ怖いとか北中が南中に攻め込んだらしいなど、活動が盛んな学区もあればそうでない学区もあった。

ヤンキーでなかった僕たちもベースボールマガジン社が甲子園の出場高を特集するように、それぞれの地区のヤンキー力(りょく)の程度を知識として仕入れ、市内の50くらいある中学の不良的序列に恐怖と興味が混在していた。

 

僕の親は先んじてそういう教育環境から遠ざけたかったのだろう。

小学校から国立の小学校へ行かされた。

そのため幸か不幸か教育的体罰以外の暴力はほとんど知らずに育った。

とても規則に厳しい学校だったが、僕は反抗心も芽生えず朴訥としてのんびりとした子供だった。

悪いことと言えば夕食をつまみ食いするぐらいという新聞の四コママンガの人物のようだった。

 

 

中学に上がると勝手が少し違ってきた。先輩を畏怖し、目を付けられないように弱いものとしての処世術を少しずつ身につけていった。

といっても中学も国立の中学でヤンキーなど一人もいず、どちらかというと教員のほうが恐ろしかった。

 

特にある数学の教師が北朝鮮のような独裁的授業を断行しており、全ては彼の機嫌次第という恐ろしい空間であった。その教師が問題を出すと全員笑顔で挙手をしなければならない暗黙のルールがあった。分からなくても手を挙げた。どうか当たらないようにと手を挙げた。幸い僕は予習をしてこなかったことが見つかりノートで顔面をはたかれた程度で、この教師から受けた罰はそれだけですんだ。

屈辱的な仕打ちだが、これで赦されて御の字という卑屈さはこの教師への恐怖心に完全に支配されていたのだ。だがこれも教育の範囲内として自分の中で処理されていた。

 

 

そして15歳になった。夏休みだった。前日の大雨が嘘のようにカラっと晴れた日であった。

学習塾も午前中で終わり、そのまま仲間とボーリングに行くことになった。5人いて2人が自転車がなかったので2人乗りをしてボーーリング場を目指した。

ようやくボーリング場に着いたと思った矢先、前日の雨で路面が濡れており、2人乗りの一台がつるりと転倒した。

 

それを見て「わっはっは」と仲間と笑っていると、背後から「オイ!」と尖った声が聞こえてきた。

振り返ると10数メートル先に10人は優に超える中学生ヤンキー軍団がいた。また夏休み仕様ということもあり、不良たちは思い思いの格好で悪さを主張していた。

小学校から国立の小中へ通っていた僕とヤンキーと呼ばれる人種との初めての邂逅であった。

 

 

リーダーと思しき先ほどの声の主は再度「オイッ!」とダミ声でこちらに叫んだ。

たちまち心に暗雲が立ち込めた。これが喧嘩を売られてる、という状況なんだろう。

小中の風紀の厳しさでこの手の輩たちとは免疫がなく、ヤンキーと喧嘩なんて実話ナックルズの世界のように自分とは遠いところの出来事だと思っていた。

 

するとこちらの仲間である、中学から入学してきた奴がズンズンと彼らに向かって近づいて行くではないか。それを僕は当事者でありながら完全に傍観者のように眺めていた。

 

するとその不良リーダーは朗らかに笑い「おうAじゃねーか久しぶりじゃん」というような感じでその友人Aとふざけあって笑っていた。

 

 

「良かったああああああああああ、友達だったのかぁぁぁ」

「神様ありがとうございます、今日より一層真面目になります。」これがまごう事なき僕の歓喜の叫びだった。

 

ちなみにこのヤンキー集団は市内でも有数のガラの悪い中学で、番付で言えば横綱級、いっぱしの不良中学でも小競り合いが起きる前に詫びを入れるほど悪名を轟かせていた。

 

借りる靴は何センチだったかな、などボーリングに気持ちが移り変わっていた頃、そのリーダー格の男はBという少し目つきの悪い友人の胸倉を掴んでいた。なんなのだこの展開は。

えっ、ちょっとしたドッキリ体験で済んだんじゃなかったの。

 

不良はBに「お前どこ中だよ」「なめてんのか」というよくある難癖を付けていた。Bは僕と違ってまだ好戦的な部分のある人間だったのか、Bから手はを出さないもののヤンキーを睨みつけていた。

突如、「ボフッ」という骨がぶつかる嫌な音がしてBは顔面を殴られた。

 

 

そしてそいつは今度僕の方に向かって来た。

元々戦意など皆無であったが、近づいてくるにつれ鼻と口にピアスをしているのが見えた。国立の小中学校の無菌培養で育った真面目っ子の僕は、そのニューヨーカーのような出で立ちに、僕を構成する細胞全てがオジギ草のように閉じていく感じがした。

嫌だ。とにかく凄え嫌だ…。怖すぎるやろがい。

 

だが僕も胸倉を掴まれ「お前どこ中よ」という一連の流れが始まってしまった。

僕「○○中です。」当然敬語だ。

「なめてんのか?アァン」「いえ……」悲しそうな顔と消え入りそうな言葉で答えた。

もう僕に出来ることは可哀想な感じを前面に押し出し、謝る理由などないが一刻も早く許しを乞うことだった。

しばらくしてB同様顔面を殴られた。痛みは感じ無かったが、心がどんよりしていくのを感じた。

 

殴られた方のほっぺただけがジンジン火照るのを感じ、何をするべきかも分からず呆然としていると、ヤンキーは再度Bに絡み、今度は膝蹴りや頭突きなど多種多彩な技を仕掛けた。

しかしこのリーダー格の男はひどく小柄で大した攻撃力などない。彼の兄が暴走族のリーダーかなにかで、その後ろ盾ありきのでのリーダーで喧嘩の猛者ではない。

Bは一方的にやられながらも目だけは睨みを聞かせ続けていた。

そしてBへの猛攻が終わるな否や、またこちらに向かってくるではないか。法則に矛盾が無ければ次は僕があの格ゲーの棒立ちNPCのような目に合うのか…。

 

やはり法則は守られ、僕もヤンキーの猛攻を浴びせられた。

この時の僕の気持ちを正直に言うと「こういう時とにかく何をどうすんの?」だった。

僕は昔から大柄で、それでターゲットにされたのだろうが、他人への暴力の体験というものがない。

もっというと僕は攻撃コマンドも防御コマンドもプログラムされていないモブキャラのようなものだったのだ。

もうここまで来たらなんでも良いが、これ終わらせるにはどうすれば?という疑問があり、どのように振舞えばいいか分からなかったのだ。そしてAは僕と仲良かったので、僕が攻撃されていると助けようと割って入ってくれたのだが、そのAも殴られる所も見てしまいにもう本当に分からないがいっぱいだった

 

そのヤンキーは気が済んだのか、「お前ら弱ェくせにムカつくんだよ!!」という謎の捨て台詞を吐いて軍団を率いて消えた。

僕とBは意気消沈をしていた。災害にあったような理不尽さで、アドレナリンが出ていたため断片的な記憶しかないが、暴行を受けている最中に取り巻きの一人が「こいつらってやっぱ勉強できるんかなー(ニヤニヤ)」と煽っていたのが思い出された。

 

結局もう何もせず家に帰りたかったが、無傷の友人たちもいたので、予定通りボーリングを3ゲームこなした。心はもうそこには無かった。

家に帰ってからも何もする気が無くベットに横たわっていた。幸い外傷のようなものはほとんどなかったため家族に気付かれることもなかった。

 

だがしばらくしてこの体験は結果的に朴訥とした少年だった僕を、自衛のための暴力や喧嘩を避けるための威嚇など雄としての野生を啓蒙したようだ。

実際殴り合いの喧嘩も1度だけやった。

雄として意識が芽生えると、次第に異性を意識したり自意識が新しい何かを求め始め、そこから裏原宿のファッションやその界隈の音楽シーンやカルチャーに傾倒していくこととなった。

暴力を肯定する気は無いが、不良のテイストにも一抹の格好よさがあることを知った。(ロックミュージックやパンクなど)

その後大学進学で東京に行くのだが、もしあのような惨劇に巻き込まれなければ東京へ憧れることもなかったのかもしれない。

言わば彼らは僕にとっての黒船だった。だが僕はただの小作農で、開国要求を農民の私に言われても困ります、という状態であった。

 

歳を取るとこういう情けない思い出でも、なんか楽しめるようになるのは良いことだなあと思います。