読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

幻の食材「豚すじ」

買い物


それどこ大賞「買い物」
それどこ大賞「買い物」バナー


今は存在しているか分からないが、東京に住んでいた頃、中央線の「吉祥寺駅」の新宿方面の高架下に「つるかめランド」というスーパーがあった。

店頭には野菜が市場のように並べられており、果物や旬の野菜がザルに盛られて一山100円などで売られていて、とても重宝した。

 

僕は基本自炊で食費を抑えていたのだが、東京生活の後半は、友人が遊びに来るわけでもなく、手料理を作ってくれる彼女もいないので、基本自分の空腹を満たすためだけに料理をしていた。

誰ぞに格好付ける必要もないわけで見栄えなどは全く気にしない。

そのくせ体の異常には敏感で二言目には「大病を患ったかもしれない」という、てかまず酒止めろよという不摂生人間だったので、野菜を取ることには心血を注いでいた。

 

ちょうど今時分の涼しくなってきた頃は、常温でも日持ちがするものも増えてくるため、僕は秋冬から春の直前まで、ひたすら大鍋に「豚汁」を作っては食べることを繰り返した。

本当に半年間毎日豚汁だった。まるで一毛作農家のようにひたすら豚汁を作った。

 

豚汁は基本的に美味しいのだが、毎日食べるとなると、しかもおかずがそれだけとなると、やはりメインを張るには肉がだいぶ多いぐらいじゃないと毎日がやるせない。

仕事を終わりのディナーが務まるぐらいの肉量は確保されるべきなのだ。

 

しかし豚汁で一番コストがかかるのは、やはり豚肉で材料費の3~4割を占める。

しかもそいつは煮込むことでみるみる小さくなっていきやがるのだ。

あんなに奮発したつもりなのに、次の日に肉だけ追加することもしばしばだった。

 

そして先に述べた「つるかめランド」なのだが、ここはどういうシステムで肉を卸しているのか不明だが、精肉コーナーには焼き鳥屋でよく見かける内臓系、ガツやカシラやせせり、ハツのついた鳥レバーなど他のスーパーと一線を画するラインナップだった。

豚肉もグラム88円ぐらいでとても安かったのだが、豚切り落としの近くにもっと安いパッキングされた奴らがいた。

 

「豚すじ/48円」

 

豚すじって、あの牛すじとかのあれなのかい?豚すじってあるんだなあ。いや豚すじってあるのか?聞いたこと無いぞ。へえ…豚すじってのがあるんだ。へえー。

などと初めて見る存在に純粋に驚いていたのもほんの数秒で、あとはひたすらこの豚すじという商品を値踏みし倒していた。

 

まず安いのか高いのか相場が分からない。がこれが成功すれば、材料費も減り肉も沢山の豚汁になる。今で言うwin-winの関係だ。(しかし肉的な存在に成り得るのか?)

生の豚すじは赤身と白質のなにかが絡み合って、しかも白身の方が割合は優勢だ。

 

以前牛すじを調理したこともあるので、とにかく煮込めばなんとかなるだろうと思い、ここぞとばかりに3パックぐらい買った。1キロ近くでも500円を切る破格だ。

 

そして家で圧力鍋で煮込んだのだが、牛すじより全然煮込まなくてもOKだった。

牛筋は圧力鍋でも30分は煮込んだろうか、その上あまりにも小さくなりすぎて入ってんだか分からなくて達成感のかけらもなかった。

豚すじは存在感を残したままで、肉肉しさも損なわれず、しかもこの白身の部分(これがすじなのか?)がトロットロで最高の塩梅なのだ!

しかも驚いたのは、豚すじから何かコクのようなものも出ておかずとして一皮向けた上に、朝起きて鍋を見ると、豚汁が煮こごりのようになっているのだ。プルンプルンなのだ。

なんだろう、コラーゲン?ゼラチン質が含まれているのか?

 

まあかくして、冬場は豚すじの豚汁をひたすら作り、食べ、なくなったら作るという生活をしていた。

だがある日ふと思った。

「人参大根はともかくこんなもん常食してるの俺だけだろう」という事実に気が付いたのだ。

世界でも例を見ない奇病にかかっても全く不思議ではない!

その日を迎えたら本棚の家庭の医学では絶対に解決できないな…と突然不安に苛まれた。

 

それでも僕は食べ続けた、豚すじ豚汁を。美味しかったからだ。

今は東京を離れ、豚すじを食べることもなくなったが、特に体に異常を来たしていない。

良かった。

 

現在は養豚が盛んな県で暮らしているが、スーパーで豚すじを見たことは一度もない。

お肉屋さんでも置いていない。残念である。

 

今日は夜は肌寒く、未だ東京在住ならそろそろ豚汁を仕込み始める時期だな、と秋めいた風に吹かれながら家路に向かう途中にそんなことを思った。

あのとろ~っとした豚すじの独特の食感を、冬場にせっせと豚汁作りを繰り返した冴えない日々を、300円ぐらいの安ワインと豚汁というトホホな組み合わせの晩酌を懐かしく思った。

 

みなさまの中で豚すじをスーパーでお見かけする機会があれば、一度食してもらいたい。

圧力鍋でなくても1時間ぐらい煮込めばとろとろになってそれに少し塩気を足すだけでも美味しいですよ。

司馬遼太郎作品 オススメランキング ベスト5

読書

僕は司馬遼太郎さんの作品が好きだ。

誤解を恐れずに言えば、司馬遼太郎さんの文章は「人をたらしこむよう」に魔性的である。

それでいて優れたストーリーテラーでもある。

読んでいると、自分さえも一角の人物になっているような甘い錯覚を抱いてしまうのである。

自己啓発書のように人生を便利にする具体的メソッドのようなものはないが、自分も何かやってやろうという熱い心は自己啓発書以上にやる気スイッチをグリグリと押されるかもしれない。

過去の英雄達が理想や立身出世を果たすべく人生に燃えたように。

 

第五位:菜の花の沖

この小説の主人公高田屋嘉兵衛は侍ではなく水のみ百姓の貧困の出であり、集落の中のマドンナを廻ってイジメを受けたりするが、そんなものには屈せず、苦心の末に船乗りの修行をして、ついに自分の船を手に入れる。

商才と誠実さで徐々に取引先を増やし、海運業者として発展を続けるサクセスストーリーだが、北海道を航路にしていたがために、船がロシアの船につかまり捕虜となってしまう。

当時は日露の関係は複雑で、今にも戦争が起こってもおかしくないほどの緊張関係にあった。

そんな中で言葉も分からない嘉兵衛は日露間の摩擦を防ぐべく、持ち前の人間性でロシア人達と信頼関係を徐々に深めていく。

高田嘉兵衛という男の受ける波乱とそれに前向きに進んでいく生き様に爽やかな気分になれなす。



 

 

第4位:新史太閤記

日本一出世をした男の物語です。豊臣秀吉はさすがに僕が説明するのは蛇足なぐらい有名な人物ですが、どのような過程を経て天下統一の手前まで登りつめたか。

信長には厳しくも可愛がられ、侍女や奥方衆には嘲笑まじりにも、遊ばれても道化に徹する心の強さ、今で言うコミュ力抜群という人物。

しかし、僕はこんな秀吉ですら自分の猿に似た外見にコンプレックスを持ち、「天下国家を目指す男がルックスの良し悪しで測られないといけないかと」誰にも打ち明けれない悲嘆を心の中で吐露するなど、人間臭い一面が凄く好きです。

時代が変わって立場が違えど人間の悩み事って変わらないんだなあと、秀吉が好きになりました。

 

 

第三位:胡蝶の夢

島倉伊之助というどちらかというと愚昧な人物がいた。

彼は今で言うADHDアスペルガー症候群のように、うまくコミュニケーションが取れず、そのことすら鼻にも引っかけない変わり者だった。

実際人に異常に嫌われるのだ。

世間の人からはもちろん、医学者の外国人教師からもなぜか嫌われる。

松本良順という医師家系の良家の子息で、伊之助とほぼ同世代の人物は、外国語習得があまり得意でない(この頃の医学はほぼオランダ語の勉強)が、誰もが避けて通る伊之助に、煌くような才能を見出す。

伊之助は日本の田舎に篭りながらに、語学学習に関しては日本史上における突然変異のような異常な才能の持ち主だった。

良順はその出自と努力から江戸幕府支持者であり明治以降は賊軍の立場にあるのだが、新政府でも腕を買われ、新政府の軍医総監を務めるようになる。

伊之助は、少しぐらい外国人同士の会話を聞く程度でマスターし、ネイティブの人間に留学経験があるのか?と尋ねられる異能の才で、良順の言わば家庭教師になる。

良順も、ともすれば人に好かれない伊之助の身の振り方を正そうと教育する。

良順は「人間が身なりを整えたり相手に礼儀作法を用いるのは、相手を傷つけずに気持ちよく過ごしてもらうために人間が作り上げたものだ。礼儀とは相手の快感のためである。」と世間の原理を説いたりする。

そのような出自も教養も身分も違う二人が、互いに立身出世していく変わった物語である。

 

 

 

第二位:花神

大村益次郎と男がいた。時代は坂本竜馬によって結ばれた薩長連合と徳川幕府を倒し、政治的パラダイムシフトを起こそうとしている時勢の中にあった

彼は終始、臨床医師であった。

今の大阪大学医学部の全身である滴塾の塾頭を務めるほどの学才の持ち主だが、生まれは山口の鋳銭司村の町医者の息子であった。

敵塾の塾頭と言えば東大を主席で卒業するようなものだが、なかなか縁が合わず、小さい藩の医師としてあまり明るくない履歴を転々とすることになる。

先の「胡蝶の夢」の伊之助のようなあまり他人と無駄話をするようなタイプではなく、「今日は暑いですね」と他愛も無い話には「夏は暑くて当然です」という口数の少ない人物だった。

時は幕末で、西洋の医学はもちろん銃火器や大砲、近代戦の兵術など外国直輸入の新しい文化が流入し始めた頃、彼の命運は大きく変わる。

益次郎も語学も卓越したものを持っていたが、さらに大砲の設計など工学にも明るく、戦における戦術家としてもこなせる才人だった。

外国語に精通している人材が全国的に登用される世になるが、大村はけして自分が望んだわけでもないのに一介の医師が、今をときめく薩長の対幕府軍の最高司令官まで担ぎ上げられるのだ。

その戦場における戦術眼は魔法のようにあざやかで、司令部で実際の戦場の様子すをみずに、戦況を予想し、それがことごとく的中するのだ。

優れた医師を目指しながら、軍人の最高司令官になるという数奇な運命の男。

大村益次郎の人生は男として憧れ、単純に格好良い!

 

 

第1位坂の上の雲

これは僕にとっては青春モノの傑作として位置づけている。

日露戦争を軸に話が進むのだが、主人公は愛媛の貧乏な一家の兄弟が陸軍と海軍の中心的人物として、運命にながされるままに教員や学者志望から、軍人へと職業を変更し、ロシアを破る中枢の人物として成長していく物語だ。

明治になってまもなく、異常なまでに世界の一等国にコンプレックスを抱いた日本は法律や警察機構、軍隊などで欧州の国と肩を並べたかった、田舎者として見られたくないプライドが、日本と言う新体制になって、国民皆で奮闘するという、日本という国の青春を描いた側面もある。

 

海軍の頭脳である秋山真之は同級生に歌人正岡子規がいた。真之も子規も兄の好古も生計の道を立て、さらに日本一の何かになりたいと言う当時の若者が抱いた立身出世を目指し勉学に勤しみ、時に激しく遊び、東大生ながらも書生と言う漠然と何をしたら良いかわからない身分で、自分の将来を激しく悩み模索する。

 

他にも児玉源太郎大山巌明石元二郎・乃木稀助・陸奥宗光などそうそうたる傑物が、ロシアという日本よりも金持ちで兵力も数倍あり喧嘩の強さだけで欧州国と対等に渡り合うジャイアンのような強い国に、ドラえもんのいないのび太がどうすれば国を守れるか。

立ちはだかり襲い掛かってくるな強大なものに、それ以上の覇気を持って圧倒的不利を覆そうとするのは、元帥まで登りつめるような首脳陣も、氷点下の中戦場の最前線を不眠不休で戦う名もない兵士も、皆が死力を尽くしている様は、自分もこのような気概を持たないといけないと人生観を変えられた一冊です。

僕は個人的に秋山好古という兄弟のお兄ちゃんが大好きです。

「自分は軍人として一個の機能になろうとしている」「自分は単純であろうとしている」など自己教育の末に軍人として徹底的なメンタルを確立しながらも、戦場でも平時でも酒を飲みながら(けしてぐでぐでに酔っ払うことなく)危機的な状況を回避するため、砲弾や鉄砲の弾が飛び交う場所で酒を飲んで思案するというユニークな人物です。

坂の上の雲は文庫本8冊ぐらいで、ボリュームはかなりありますが、寝食を忘れて読むほど面白く、読後は熱い志が胸に宿る、人生の一冊になるでしょう。

物欲主義者と快楽主義者【書評】「今夜、全てのバーで/中島らも」

読書

 

僕は昔からあまり物欲がない。ヴィトンの財布や高い腕時計など微塵とも欲しいと思ったことがない。

車にも全然興味がもてなかった。最近では便利なモノとしていい加減欲しいとは思うが、富の象徴というような意味では全く興味は無い。

高級車などいらない。壊れずに走ってくれれば良い。

 

その代わり、精神的なものに対する欲求が半端ではない。映画や漫画、小説など心に高揚感を持たせてくれるものが大好きだ。ジャンキーといっても良い。

僕のこの快楽主義者的スタンスは、生い立ちが大きく関係していると思う。

 

僕は物心つくまえからアレルギーに対する反応が凄く、特に喘息を患っていた。

当時は子供なのでそれが「喘息」という病気だと認知してはいないが、あの滅法苦しい状態が定期的にやってきてそれは苦しんだ。

つまり健康の水準が人より一段低く設定されており、発作の無い普通の状態が幸福なのだ。

この世で唯一欲しいものと言えば、喘息の発作止めだけであった。

 

体が成長するにしたがって喘息もほとんど起きなくなってきた僕は上記のように心に高揚感を与えてくれるものの虜になった。

そして成人以降はアルコールに溺れた。とはいっても昼間からずっと酔っ払っているわけではなく、日が暮れるとワインを2本と缶チューハイを買って、毎晩痛飲していた。

ある時期から夜勤の仕事をするようになると、今度は夜勤帰りの朝に飲むようになり、それにより飲酒のルールがとてもアバウトになった。

無職になって酷いときは、飲んで寝て起きて迎え酒という状態が3日ぐらい続いた日もあった。

山形連続飲酒というやつである。

もうさすがに今はそういう生活はしていないが、アルコールは依存すると恐ろしいものだと分かった。

 

芸術的なものを好む人は酒はもちろん薬物や大麻などに手を出す人は多い。

それを利用して着想を得たりすることもあるのだろうが、そっち方面の知的探究心がとても強いのだろう。

 

この本の作者である中島らもさんはまさにその典型的な人物で、酒や薬や睡眠薬などあらゆる中枢神経に作用するものを愛好し、多くの名著を残した一方で、健康を蝕んでいった。

 

僕はらもさんほど破天荒になれなかった小心者だが、核として凄く近いものをもっているため、読んでいてドキリとする箇所がいくつもあった。

 

・夜眠るためのナイトキャップとして利用しているとアル中になりやすい

睡眠を質草として、アルコールに奪われ、寝るために飲まざるを得なくなり、さらに酒量は増える。

 

・「教養」とは一人で時間を潰す技術だ。自分は教養がなく、ぽっかりとあいた時間があると飲酒以外思いつかない。

最近この言葉が意味することがなんとなく分かるような気がした。

現在学校が夏休みで、夕方のアルバイトに行くだけという単調な生活を送っており、アルバイトまでの漫然とした時間を潰す方法を思いつかず、睡眠薬を飲んで寝逃げすることがしばしばある。

きっとこういうことなんだろうなあ、と思いながらも惰眠を貪ることしかできないのだ。

 

この作品はらもさんの私小説的側面が強いため、アルコールに溺れる人の仕組みや考え方などが鋭い筆致で描かれつつ、らもさん特有のユーモアを交えたエンターテイメント性もあり、とても素晴らしい作品です。

資産家になる方法

雑記

f:id:musicismath:20160924024342p:plain

結論から言うと、資産を手に入れる方法とは「掃除/手入れ」をすることだと思う。

これはいわゆる金融資産に限ったことではない。

だが仮に不動産などの場合でも物件の状態で資産価値は変わる。

車もそうだ、年式や走行距離にもよるが良い状態を保つことで売却する際の価値は変動する。

 

うちには2台自転車があったが、僕が電動自動車を購入したため、3台所有することになった。

我が家の屋根の有る駐輪スペースは、2台収容することが限界で、父が10年前に購入した1台があぶれてしまい、雨避けも無く人目に付かない場所に追いやられた。

半年たったその自転車は幾度も雨に晒され、お金を払って処分しないといけない「負債」となってしまった。

 

「資産」と「負債」は表裏一体なのかもしれない。

物は一部の特殊なモノ以外は酸化したりして手入れを怠ると劣化してしまう。

購入した時をピークに、砂時計の砂のように少しづつだが、着実に質が落ちてしまう。

 

人間においてもそうだろう。身なりを整えることで人に不快感を与えず、良好な人間関係を築く礎となる。髭も髪も伸び放題で、洗ってあるかも怪しいボロボロの服の人間を人は回避する。

女性が自分の美貌に磨きをかけることは資産価値の向上に他ならない。

男性も体を鍛え、体力や腕力を高めることは、見栄えも良くなり己に自身も付くだろう。

 

健康面にも言えることで、歯をきちんと磨かないと虫歯という「負債」となり、暴飲暴食を続けるともっとひどい「負債」を背負うこととなる。

 

人との関係にも通ずるものはある。全く連絡を取らないまま数年来の再会であっても一瞬で昔のように楽しく騒げる種類の友人もいるが、誕生日のお祝いや年始の挨拶など節目にでも行うほうが良い人間関係を保ちやすい。恋人関係や親子、親戚関係もそうだ。

日常的に接する職場の人やクラスメイトも全く接しないよりは、少しずつでも言葉を交わし一緒に笑い合えれば、困ったときに助けてくれるかもしれない。

 

ちなみに僕は友人がゼロで髪も数ヶ月伸び放題で部屋の掃除も全くせず、スポーツジムは会費だけ払い続けている状態だ。

実家の母のおかげできちんとした食事を取ることが出来、健康と言う資産だけはあることに感謝をしなければならない。

そろそろ部屋を片付けて身なりを整え、体を鍛えて、友人との旧交を温め、今勉強していることの知識の手入れをして有産階級を一歩ずつ目指すことにします。

 

とりあえず明日は掃除と庭の手入れじゃあーーー。

僕がヤンキーに殴られた日

雑記

それは15歳の時だった。

今ではほとんど見かけなくなったが、昔は僕の住んでいる田舎は中学生のヤンキーが沢山いた。

今思うと僕の世代のヤンキーというのは部活動の一種だったのだと思う。

窓ガラスを割ったり校内暴力を起こすなど、大人社会にまでは牙を向かず、同年代の相手限定でチンケな悪さをする。

中学生の身の振り方としてヤンキーというものが一つのカテゴリとして存在していた。今はもうない。それだけの違いのような気がする。当時は間口が広くて入りやすかったのだ。

 

西中はマジ怖いとか北中が南中に攻め込んだらしいなど、活動が盛んな学区もあればそうでない学区もあった。

ヤンキーでなかった僕たちもベースボールマガジン社が甲子園の出場高を特集するように、それぞれの地区のヤンキー力(りょく)の程度を知識として仕入れ、市内の50くらいある中学の不良的序列に恐怖と興味が混在していた。

 

僕の親は先んじてそういう教育環境から遠ざけたかったのだろう。

小学校から国立の小学校へ行かされた。

そのため幸か不幸か教育的体罰以外の暴力はほとんど知らずに育った。

とても規則に厳しい学校だったが、僕は反抗心も芽生えず朴訥としてのんびりとした子供だった。

悪いことと言えば夕食をつまみ食いするぐらいという新聞の四コママンガの人物のようだった。

 

 

中学に上がると勝手が少し違ってきた。先輩を畏怖し、目を付けられないように弱いものとしての処世術を少しずつ身につけていった。

といっても中学も国立の中学でヤンキーなど一人もいず、どちらかというと教員のほうが恐ろしかった。

 

特にある数学の教師が北朝鮮のような独裁的授業を断行しており、全ては彼の機嫌次第という恐ろしい空間であった。その教師が問題を出すと全員笑顔で挙手をしなければならない暗黙のルールがあった。分からなくても手を挙げた。どうか当たらないようにと手を挙げた。幸い僕は予習をしてこなかったことが見つかりノートで顔面をはたかれた程度で、この教師から受けた罰はそれだけですんだ。

屈辱的な仕打ちだが、これで赦されて御の字という卑屈さはこの教師への恐怖心に完全に支配されていたのだ。だがこれも教育の範囲内として自分の中で処理されていた。

 

 

そして15歳になった。夏休みだった。前日の大雨が嘘のようにカラっと晴れた日であった。

学習塾も午前中で終わり、そのまま仲間とボーリングに行くことになった。5人いて2人が自転車がなかったので2人乗りをしてボーーリング場を目指した。

ようやくボーリング場に着いたと思った矢先、前日の雨で路面が濡れており、2人乗りの一台がつるりと転倒した。

 

それを見て「わっはっは」と仲間と笑っていると、背後から「オイ!」と尖った声が聞こえてきた。

振り返ると10数メートル先に10人は優に超える中学生ヤンキー軍団がいた。また夏休み仕様ということもあり、不良たちは思い思いの格好で悪さを主張していた。

小学校から国立の小中へ通っていた僕とヤンキーと呼ばれる人種との初めての邂逅であった。

 

 

リーダーと思しき先ほどの声の主は再度「オイッ!」とダミ声でこちらに叫んだ。

たちまち心に暗雲が立ち込めた。これが喧嘩を売られてる、という状況なんだろう。

小中の風紀の厳しさでこの手の輩たちとは免疫がなく、ヤンキーと喧嘩なんて実話ナックルズの世界のように自分とは遠いところの出来事だと思っていた。

 

するとこちらの仲間である、中学から入学してきた奴がズンズンと彼らに向かって近づいて行くではないか。それを僕は当事者でありながら完全に傍観者のように眺めていた。

 

するとその不良リーダーは朗らかに笑い「おうAじゃねーか久しぶりじゃん」というような感じでその友人Aとふざけあって笑っていた。

 

 

「良かったああああああああああ、友達だったのかぁぁぁ」

「神様ありがとうございます、今日より一層真面目になります。」これがまごう事なき僕の歓喜の叫びだった。

 

ちなみにこのヤンキー集団は市内でも有数のガラの悪い中学で、番付で言えば横綱級、いっぱしの不良中学でも小競り合いが起きる前に詫びを入れるほど悪名を轟かせていた。

 

借りる靴は何センチだったかな、などボーリングに気持ちが移り変わっていた頃、そのリーダー格の男はBという少し目つきの悪い友人の胸倉を掴んでいた。なんなのだこの展開は。

えっ、ちょっとしたドッキリ体験で済んだんじゃなかったの。

 

不良はBに「お前どこ中だよ」「なめてんのか」というよくある難癖を付けていた。Bは僕と違ってまだ好戦的な部分のある人間だったのか、Bから手はを出さないもののヤンキーを睨みつけていた。

突如、「ボフッ」という骨がぶつかる嫌な音がしてBは顔面を殴られた。

 

 

そしてそいつは今度僕の方に向かって来た。

元々戦意など皆無であったが、近づいてくるにつれ鼻と口にピアスをしているのが見えた。国立の小中学校の無菌培養で育った真面目っ子の僕は、そのニューヨーカーのような出で立ちに、僕を構成する細胞全てがオジギ草のように閉じていく感じがした。

嫌だ。とにかく凄え嫌だ…。怖すぎるやろがい。

 

だが僕も胸倉を掴まれ「お前どこ中よ」という一連の流れが始まってしまった。

僕「○○中です。」当然敬語だ。

「なめてんのか?アァン」「いえ……」悲しそうな顔と消え入りそうな言葉で答えた。

もう僕に出来ることは可哀想な感じを前面に押し出し、謝る理由などないが一刻も早く許しを乞うことだった。

しばらくしてB同様顔面を殴られた。痛みは感じ無かったが、心がどんよりしていくのを感じた。

 

殴られた方のほっぺただけがジンジン火照るのを感じ、何をするべきかも分からず呆然としていると、ヤンキーは再度Bに絡み、今度は膝蹴りや頭突きなど多種多彩な技を仕掛けた。

しかしこのリーダー格の男はひどく小柄で大した攻撃力などない。彼の兄が暴走族のリーダーかなにかで、その後ろ盾ありきのでのリーダーで喧嘩の猛者ではない。

Bは一方的にやられながらも目だけは睨みを聞かせ続けていた。

そしてBへの猛攻が終わるな否や、またこちらに向かってくるではないか。法則に矛盾が無ければ次は僕があの格ゲーの棒立ちNPCのような目に合うのか…。

 

やはり法則は守られ、僕もヤンキーの猛攻を浴びせられた。

この時の僕の気持ちを正直に言うと「こういう時とにかく何をどうすんの?」だった。

僕は昔から大柄で、それでターゲットにされたのだろうが、他人への暴力の体験というものがない。

もっというと僕は攻撃コマンドも防御コマンドもプログラムされていないモブキャラのようなものだったのだ。

もうここまで来たらなんでも良いが、これ終わらせるにはどうすれば?という疑問があり、どのように振舞えばいいか分からなかったのだ。そしてAは僕と仲良かったので、僕が攻撃されていると助けようと割って入ってくれたのだが、そのAも殴られる所も見てしまいにもう本当に分からないがいっぱいだった

 

そのヤンキーは気が済んだのか、「お前ら弱ェくせにムカつくんだよ!!」という謎の捨て台詞を吐いて軍団を率いて消えた。

僕とBは意気消沈をしていた。災害にあったような理不尽さで、アドレナリンが出ていたため断片的な記憶しかないが、暴行を受けている最中に取り巻きの一人が「こいつらってやっぱ勉強できるんかなー(ニヤニヤ)」と煽っていたのが思い出された。

 

結局もう何もせず家に帰りたかったが、無傷の友人たちもいたので、予定通りボーリングを3ゲームこなした。心はもうそこには無かった。

家に帰ってからも何もする気が無くベットに横たわっていた。幸い外傷のようなものはほとんどなかったため家族に気付かれることもなかった。

 

だがしばらくしてこの体験は結果的に朴訥とした少年だった僕を、自衛のための暴力や喧嘩を避けるための威嚇など雄としての野生を啓蒙したようだ。

実際殴り合いの喧嘩も1度だけやった。

雄として意識が芽生えると、次第に異性を意識したり自意識が新しい何かを求め始め、そこから裏原宿のファッションやその界隈の音楽シーンやカルチャーに傾倒していくこととなった。

暴力を肯定する気は無いが、不良のテイストにも一抹の格好よさがあることを知った。(ロックミュージックやパンクなど)

その後大学進学で東京に行くのだが、もしあのような惨劇に巻き込まれなければ東京へ憧れることもなかったのかもしれない。

言わば彼らは僕にとっての黒船だった。だが僕はただの小作農で、開国要求を農民の私に言われても困ります、という状態であった。

 

歳を取るとこういう情けない思い出でも、なんか楽しめるようになるのは良いことだなあと思います。

アイコスに変えてから体に起きた変化(5ヶ月)

iqos

 

f:id:musicismath:20160922002050p:plain

 

僕がアイコスを知ったのは、例の「アメトーーク」で取り上げられてからだ。

なのですでに欲しいと思った頃には、どこのコンビニもタバコ屋さんにも在庫はなく、オークションで高値で売買されていた。

さらには田舎なのでアイコスショップという専門店など当然無い。

だが幸運だったのは、とある喫煙所で一服していたら、偶然フィリップモリスの営業マンの方に声をかけてもらえ、県下で一番多く卸しているお店を教えていただいた。

そのお店で予約をすると数日で手に入った。

それ以来ほぼずっとアイコスだけを吸っている。

これを禁煙と呼べるなら禁煙5ヶ月突破ということになる。(僕の喫煙暦は15年くらいだ)

アメトーークの放送内で、人によっては紙巻きタバコと兼用したり、我慢できずに紙巻きを吸ってしまったりと、なんかビールと発泡酒のような、紙巻を我慢しアイコスでお茶を濁してるような一面があったような気がするが、これはテレビ的な演出かもしれない。

 

 

アイコスと普通のタバコは別物、いや相反するものと言って良い。両立は難しい。

 

 

アイコスに慣れると、紙巻きから出るタールが不味すぎて吸っていられない。

初期に一度だけアイコスを仕事に持ち忘れた時に、急場を凌ごうと以前のタバコを買ったのだが、4回くらい吸って消した。残りはもったいないが捨ててしまった。

久しぶりのタールは全人類の敵と言い切れるような邪悪な不味さだった。

僕には「1本お化け」は金輪際現れないと思う。

前置きが長くなったが、最近感じたアイコスに変えてから感じる諸々の変化を挙げていこう。

 

 

良い変化

1、色々な場面で緊張し辛くなった

2、ニコチンへの依存が減ってきた

3、.歯の黄ばみが薄らいできた

4、色々と我慢強くなった

①これは自分だけかもしれないが、僕は極度のあがり症だ。

緊張するとタバコを吸いたくなるのだが、喫煙者は分かるかもしれないがタバコを吸うと血圧が物凄く上がる。寝起きにタバコを吸うと目が覚めるのはそのせいだ。

そして喫煙後は呼吸が浅くなる。脳への酸素供給量が減り、浅い呼吸で話すと声が震えたり話が詰まったりする。人前で話すこと以外でも過緊張は少なくなる。この記事を書きながら、最近緊張した場面ってあまりないなあと気付いたぐらいだ。

②以前は判を押したように、寝起き食後とタバコを軸にして1日の習慣が行われていたが、食後の体が強烈に一服を求めている感じが無い。喫煙すると胃酸が出るため、胃の中の消化を促すために吸いたくなると聞いたことがあるが、そういう衝動的欲求はない。

③少しずつ歯が白に近づいてきた。同様にアイコスに変更以降購入した部屋にあるモノはタバコ焼けしないので売りたいときに売ることが出来るようになった。資産が負債とならずに資産価値が保たれている。

④これは②と近いが、先日暇を見つけてパチンコへ行ったときに充電が切れていた状態だった。カラオケと飲み会とパチンコはタバコの消費量が著しいイベントだ。最初はさすがに口寂さはあったが、ノンスモーキングで5時間ぐらい過ごせた。

前はサウナに入るとすぐに出たくなったが、今は5分ぐらいなら我慢できるようになったのもアイコスの効果かもしれない。

 

悪い変化

1、緊張感に欠け、テンションがあがらない時がある

2、人によっては支出が増える

3、シケモクが出来ない

①これは良い変化①での負の側面で、感情の起伏が少なくなった気がする。禁煙欝というやつだろうかと疑ったりもしたが、ニコチンは吸収しているわけで脳の伝達物質が足りないわけではない。某掲示板で「ドヨンとなる」と形容されているものが僕にも起こる時が有る(といってもそんなに深刻なものではない)また追って調査を続けたい。

②僕は平時はアイコスを吸わないでも平気だが作業中などスパスパ吸うこともあるので1日辺りの本数が増える人もいるでしょう。

③アイコスは構造上2回に分けたりして吸うことが出来ないので、切れて吸いたくなったら以前のように少し長めの吸いがらで欲求を抑えるということは不可能。買いに行くのが面倒くさい。

ただ面倒くささがニコチン欲を上回ることもあり、徐々にニコチンを我慢できるようになっているという見方も出来る。

 

 

以上がまだ5ヶ月ほどだが、僕がアイコスに変えてからの身辺の変化です。

先にも書いたが「1本おばけ」は供養されました。

アイコスはメンテも大変ですが、僕は割と適当に気が向いたら専用ブラシでキレイにしています。

一度スティックが故障してコールセンターに連絡したのですが、交換対応となった時、電話したのは夕方でしたが、次の日の昼にはもう届いて驚いた。(うちは九州の端にある僻地です。)

羽田空港にアイコス物流センターがあるようで、アマゾン以上に迅速な対応でした。

まだ転売の対象となっているようですが、早くアイコスが欲しい人の所に行き渡るといいなあ。

 

 

追記

 

musicismath.hatenablog.com

 

 

musicismath.hatenablog.com

 

横書きの文章/ネットと流し読み

雑記

 

f:id:musicismath:20160921101618p:plain

 5年ほど前、書店で勤務していた頃、検品という作業があった。

注文した本の内容と冊数が伝票と誤りが無いかを確認する作業だった。

ある時検品したものが当時中高生に流行っていた「ケータイ小説」だった。

どんなものかと野次馬根性でパラパラとめくってみた。

文体や内容もさることながら、自分はこの手の本は読めないなーと思った。本当にケータイ(ガラケー)のメールなぞをを活字にしたようなものだった。

僕が一番違和感を感じたのはそれは文章横書きで構成されていたからだった。

 

雑誌や書籍だと雑誌はほぼ(文芸誌を除く)横書きで構成されており、書籍は縦書きのものが多いような気がする。

思えば学校の教科書もほとんど横書きだった気がする。社会・数学・物理・化学などなど。

むしろ国語だけが縦書きだ。なぜ国語は縦書きなのだろう。

 

 

調べて見ると人間の視野は横に200°、縦に110°ぐらいらしい。目の造形から見ても縦幅が横幅より長い人はまずいないあろう。

速読術という、一度に一行を瞬時に10文字ずつ訓練法がある。

端的に言えば、横書きの文章ではこれを4~5文字ぐらいをみんなナチュラルに行えるようになっているのではないか。

一時期話題になったコピペがあるがちょっと読んでみよう

 

 

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の
けゅきんう の けっか にんんげ は もじ を にしんき する とき
その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という
けゅきんう に もづいとて わざと もじの じんばゅん を
いかれえて あまりす。どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?

 

これを縦書きに直してみた。

 

 

f:id:musicismath:20160921105420j:plain

 

 正直自分では、どちらも今さら何十回も読み、今回の思いつきでバイアスがかかっており、公正な判断が出来ているか不安だが、縦書きだと割と誤字に引っかかるようなきがする。

縦書きの文章は読み下すのに時間がかかる。

それゆえ小説などの本の世界に深くはまれるから、縦書きなんだろうか。

 

僕もまとめサイトなどを読むときはさささっと流し読んでいてたまに出てくる長文は 

 さらさらと読みつつ、もう二度三度ゆっくりした速さで読まないと内容を深く読み取れないこともある。僕の理解力に問題があることも一因ではあるが。

 

ネットは長時間眺めていても疲れにくいが、本は読んでいて疲れて休憩することがままある。

ただの考察なのでエビデンスなど何もないのだが。おそらく後者の方が脳を深く使っているような気がする。

 

秋に近づき読書に適した季節になりましたが、寝る前には縦書きの活字を読むことで深い睡眠を得られることが出来るかもしれない。と思いつきの雑記でした。

本件はこのまま鋭意調査を続行したいと思います。